4年前、新しい仕事を引き受け3年間携わっていました。
それは、調理師専門学校の講師の仕事でした。
私が受け持ったのは、実習ではなくいわゆる座学といわれる講義。フードコーディネート論というのを、高校卒業以上の資格で専門学校に入学し、2年かけて終了する課程の生徒たちに教えるというものでした。
フードコーディネート論は一回3時間の授業。それが26回あります。
15年間自宅で あらゆる角度から食と食空間を俯瞰し、命を育む家庭の食事の大切さ、そして食をコミュニケーションツールとして楽しむ方法を伝える料理教室をやってきました。
食材の選び方、調理の仕方、美しく、効率的な作業の仕方、片づけ方、盛り付け方、テーブルコーディネート、シルバーの手入れの仕方、使い方、献立の立て方、季節の楽しみ方・・・調理は単なる作業ではなく、食材への感謝の気持ち、一緒に食べてくれる人への思い遣り、心配り、なににもまして、料理はあらゆるものに対する愛情表現の一つであるということなど。
そんな今までの経験が全部、専門学校の授業で活かせると思いました。
料理を作れるということ、作ることが好きだということは幸せなことだと私は思います。
料理でなくとも、疲れている時に差し出された丁寧に淹れられた一杯のお茶にほっとする。そんな経験がある人は多いのではないでしょうか?
そのような心の部分を伝えたいと思っていました。
充実したカリキュラムの学校でしたから、調理技術はもちろん、栄養学や、調理理論、衛生学など、生徒たちは技術や知識は十分それらの授業で学べていると感じていました。
フードコーディネートといえば、狭い意味では飲食店のメニュー開発や新店舗出店のアドバイスなどがメインでしょう。
けれど、学校で「フードコーディネート論」という形で学ぶのであれば、やはり、食と食空間に関わる心まで、全体に広く言及する必要があると思いました。
けれど実際は、自分が伝えたいことが生徒たちに伝わっているのだろうか。それを自分に問いかけることの繰り返しでした。
精神論というのは、伝わりにくいものです。
技術は繰り返すことで、知識は記憶することで身に付きます。
けれど、思いやりや、愛する心、相手の立場になって考え行動することの大切さは、技術や知識の習得や理解とは少し違います。
3年間、伝えたいことが伝わっていないのでは・・・
どうしたら楽しく学んでもらえるのか?
どうしたら伝わるのだろうか、わかってもらえるのだろうか?
悶々としながらの講師として過ごしていたころ、母校のかつての学長が帰国し、卒業生向けに講演をするというので出かけて行きました。
「教育」がテーマだったその学長の話の中で、「教育の成果というものは、すぐに出るものではありません。時として、何十年もたってからその成果が表れることもあります。かつてこの大学でA先生という人が英語を教えていらっしゃいました。大変優秀な先生でしたが、A先生は自分の教え方では生徒に英語の面白さや知識、語学力を高めることはが出来ていないのではないかと悩んだ末、大学を去りました。もう、20年以上も前のことです。私は先日、ある卒業生に会いました。彼は会社員として勤めた後、どうしても英語の先生になりたくて勉強しなおし、今、高校の英語の先生として充実した日々を過ごしていると語り、自分がこの道に進むきっかけは、A先生だったと言っていました。 A先生は、決して何も残していなかったわけではないし、何も伝わっていなかったわけではなかったのです。でも、A先生は、そのことを知ることなく、日本を去られたのでした。このように、教育の成果というものは、ずっと後になって表れたりするものです。ですから、今日この中で、教育に携わっている方がいらしたら、このことを心にとどめておいていただきたいと思います。 」
私が教えた子供たちも、今、分ってくれなくったっていいや。
きっとずーっと先に、いつか私が伝えたかったことをわかってくれたらうれしいし、わかってくれなくても、いい。と思えるようになりました。
3年間、私にとってはある意味大変で、心情的につらい経験でした。
でも、そのことが私の肥やしになっているのだと、時間がたった今、私にもわかるようになりました。
自分が生きる意味を真剣に考え向き合ったとき、自分が人に与えたことも、自分が人から与えられたことも、きっといつかわかる。
そう私は思いたいです。